チビママ今日も食いしんぼ  いつもマイペースなパパさん。そのもの(@_@)/ずばり!怪獣君。 そして食いしんぼな私のバトル日記・・・。いえいえ愛情たっぷり!?の食べたもの日記です。
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阪神・淡路大震災の頃のお話。
2007-01-17 Wed 17:43
 今日で阪神・淡路大震災から丸12年が経ちました。
 
 あの当時私とパパさんはおままごとのような同棲生活をしていたのを思い出します。

 12年前のあの日のあの時間。

 パン職人だったパパさんはすでに勤務中で、私は早朝から梅田の喫茶店で
アルバイトしていたので駅で電車を待っていました。

 突然大きな音と共にとても立っていられないほどの揺れが来て、ホームにいた人たちは
私も含めてすべて倒れていました。
 
 駅は停電して非常ベルが鳴り響き、大きな地震に遭遇したことのなかった私は
何が起こっているのかわっぱりわかりませんでした。
 
 同じように電車を待っていた男性が、

「地震やなぁ。この調子やったら今日は電車動かんぞ。」

 そう言って帰りだしたので、私もホームを後にすると駅員さんたちが
とてもバタバタとしています。

 止まっていた自動改札口を抜け、駅を出ると駅前の自動販売機は電気がついています。
 
 温かいコーヒーを4本だけ買って、忙しそうにしていた駅員さんたちに差し入れ。

 それから自宅に帰ろうと歩いていると、さっきまでと町の様子はまるで違いました。

 
 アスファルトは引き裂かれたようにめくれ、

建物のガラスは割れて道路に飛び散り、

あちこちで割れた水道管から水が噴出しています。


 もちろん自宅もひっくり返ったようになっていて、パパさんが帰宅するまでの時間、
割れた食器を踏んでしまって足を切ったりしながらもどうにか片付けました。

 テレビを見てどういうことが起こったのか知って、実家に電話してもなかなか
つながらなくて、やっとチビグランマの声を聞けた時には涙がこぼれたりしました。


 夕方、パパさんがものすごい勢いで帰宅したときはとてもうれしかったです。
 
 携帯電話なんか持っていなかったあの頃、パパさんは私がもう電車に乗ってしまって
いるんじゃないかと心配してくれたみたいです。

 
 
 あの日。


 たくさんの人が命を落とし、


たくさんの人が怪我をし、


たくさんの人が家や色々な物を失いました。




 亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に、
残されて悲しみや苦しみを乗り越え立ち直ってこられたたくさんの人たちが
幸せになれますように・・・・・・・・・・・・・・・・・・・心からお祈りします・・・・・・・・・・・。



 人気blogランキングへ  パパさんとももう13年一緒にいます。長いな・・・。  
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この記事のコメント
・阪神・淡路大震災
チビママ、やはりあなたとは不思議なご縁があるようです。
12年前のあの日、わたしは高槻にいて、しかも断層が下を走っている阿武山(あぶやま)にある公団に住んでいました。地震があった時、幼稚園に通う末娘のお弁当のために6時に起きる予定でしたが、まだ布団の中にいて、ウトウトしている時に、ズシンという衝撃とともに激しい横揺れがありました。天井から下がっている蛍光灯が縦に揺れていたのだけは覚えています。大きな揺れが収まった時、一番にした事が子供たちの様子を観ることでした。家族に怪我はなく、部屋を見回すとテレビが動いていて、食器棚のなかのワイングラスが不安定な格好をしているだけでした。電気はすぐ復旧しましたが、テレビに映った神戸の映像は今でもはっきり覚えています。とても信じられない映像。しばらくその場所に座り込んでしまいました。
結局、高槻は断層の上にあったため、震度5弱でしたが、被害は驚くほど少なかったです。余震はありましたが、それ以外はなんら変わることなく、空が悲しいほどに澄み切っていました。
その年の3月にはオウムの事件で騒然としていた関東に引っ越す事になるのです。
数年前に神戸を訪れた時、表面上は復興したかのような神戸の街に点在する空き地が12年前を物語っていて、せつなかったです。
四国でのおおきな地震にも遭遇しましたし、18年間住んでいた福岡でも・・・
今まで生きていた事が奇跡のように思えます。
当時チビママは大阪のど真ん中にいて、もっともっと大変な思いをしていたのですね。
たくさんの犠牲になった方達の命を無駄にしないためにも、今を大切に生きていきたいと思っています。
2007-01-17 Wed 19:29 | URL | ladygrey #u2lyCPR2[ 編集] | top↑
朝、テレビを付けて、光景に驚いたのを覚えています。
私はまだ東京でOLをしていて、部署で物資を送ろうという事になりました。
不要な服や募金を募って、そのお金で非常食や、赤ちゃんや老人のオムツを買って。
いざ送ろうと思い、大阪のどこかの役所に電話したの。
そこに送ったら良いのか聞くために。
そしたらね「モノはいらない!お金を送れ!金だ」
本当にこういう言い方をされたの・・・悲しかったな~
指定された口座は、その役所の口座でね。
でも、私達は、そのお金が、被災された個人に渡るわけじゃないでしょ、お金として。
だから、部内募金の残ったお金しか送らなかったの・・・
町の復興はモチロン大事だし、それが基盤なのかもしれないけど
今、困っている個人に、何かしたかったんだ。
結局何もできなかったけど・・・。
変な話してごめんね。
個人が個人を助けられるライフラインみたいなのが
もっと整うといいな~なんて思います。
2007-01-17 Wed 22:12 | URL | RUNA #-[ 編集] | top↑
・お久しぶりです
当時は地元の北海道に普通にすんでいました。
北海道と神戸では離れすぎていて、他人事のように思っている人は少なくありません。でも数年後大阪に引っ越しして生活をするとは思っても見ませんでした。住んだ場所が門真と守口だったので、体験談を聞いても揺れたけどたいしたことは無かったと言ってましたが、でももし神戸くらいの地震がきたら、下町であった住んでいた場所はひとたまりも無かったと思います。テレビであと80年のうちにはかなりの確立で又地震があると2年位前に言ってるのを見ました。凄く恐ろしくて残されてしまう子供たちの心配をしました。北海道も地震は多くて海に囲まれているので津波も恐ろしいです。日本は地震が多い国は仕方が無いので、地震が来る予測が出来るようになって欲しいです。
2007-01-17 Wed 23:52 | URL | ひちゃんこ #L8AeYI2M[ 編集] | top↑
わたしもあの日の事は鮮明に覚えてます。
実は仕事場で仲良くしていた友達が神戸の三ノ宮出身でした。
結婚を期に、東京暮らしをやめ 彼と神戸に帰りました。
前の年の夏。東京まで遊びに来て我が家に泊まって楽しく過ごしたその 数ヶ月後です。
朝早く、母上に起こされTVを見て愕然としました.....。いったい何が起こったのか理解できなかった。
すぐに電話したけどもちろんつながらない。 会社を休み一日中電話をかけていました。
身体の震えが止まらなかった.....。
途中から電話つながったんです。 でも呼び出し音が鳴るだけで誰も出ません。
りっぱとは言いがたいアパートに住んでいたので 嫌な考えばかりが頭をよぎりました。
20日に日付が変わった夜中の2時近くだったと思います。受話器の向こうから 元気な声が聞こえてきました。
思わず受話器握りしめたままワーワー大泣きしてしまいました...。
「生きてた」ってそれしか言えずにずっと泣きました。
大人になってから 親の前で大声で泣いたのは後にも先にもあの時だけです。
彼女のアパート近辺は ほぼ全滅だったそうです。 よく助かったと不思議なぐらい。
いろんな人が悲しい思い 辛い思いをしたあの出来事は 絶対に忘れてはいけない。
そして生きている事に感謝しなきゃな...。ちょっと反省...。
チビママさんほんと無事でよかったね!
2007-01-18 Thu 01:39 | URL | しずしず #-[ 編集] | top↑
v-22ladygrayさんへ


 そうそう!電気はすぐに復旧しましたよね。
 ladygrayさんもご家族の方も怪我がなくて本当によかったです。
 私のお友達にも家族をなくしてしまった人が結構いて、この時期はやっぱりその話が多くなります。
 
 私が当時住んでいたのは被害が結構大きかった豊中市なんです。
 明るくなってからどんどん回りの状況がよく見えてきて、とんでもないことが起こったんだなとつくづく思いました。

 実家のある町もいつ大きな地震が起きてもおかしくないらしく、数年前から騒がれています。
 地震が起きると大きな津波もくるみたいで、実家がとても心配です。



 v-22RUNAさんへ


 その市役所職員。
 信じられません。
 忙しいのはわかるけど、人の善意をありがたく思わないなんて人としてどうかと思う。
 ゆるせん!!!!!

 ホント、ライフラインが整っているようで整っていないよね。
 私は震災のときにたくさんの方々のお世話になったので、募金とかには敏感です。
 少しずつなんだけど、みなさんからもらった思いやりをそのときそのときに困っている人に分けてあげたい。
 
 こうしてつながっていくのかなぁ????



 v-22ひちゃんこさんへ


 地震はいつ、何処で起きるかわからないから怖いですよね。
 大まかな予想は出来るみたいですけど・・・・・・・・・・。
 南海大地震もいつ起きてもおかしくないって言われています。
 もし実際に起こったら、パパさんの実家も私の実家も津波の被害にあうでしょう。
 本当に心配なんです。
 
 恥ずかしい話、複雑なプレートの上にある日本。
 アトランティスやムー大陸のようにある日突然沈んじゃわないかと思っています・・・・・。(^^)



 v-22しずしずさんへ


 しずしずさんはとってもお友達思いなんですね。
 お友達、とっても嬉しかったと思います。
 お友達は余震がひどかったのでどこかに避難していたのかしら?
 あの日、ちょっとした違いが命を左右していたんです。
 私とパパさんが住んでいたアパートは半壊。
 たまたま二人とも仕事が早朝からあったので部屋にいなかったことが幸いしました。
 色んな物が倒れていて、自宅で寝ていたら大きな怪我をしていたかもしれないんです。

 本当に忘れてはいけないと思う。
 あの日のあの光景はずっとずっと目に焼きついています。

 そして今、元気で暮らしていられることに感謝!!!
 
2007-01-18 Thu 21:42 | URL | チビママ #-[ 編集] | top↑
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